■パリのバレエスクール

ClichyにあるPARIS CENTRE DANCEという大きなダンススクールでレッスンをとっていました。
その後CENTRE INTERNATIONAL DE DANCE JAZZという名前に変わっています。

駅はPlace de ClichyかLiegeから歩いていけるところにありますが、夜21時以降かなんかが Liegeの駅が閉まってしまい、Place de Clichyからしか帰れませんでした。
ここはNYのブロードウェイダンスセンターみたいな感じの大きなダンススクールで、 クラシックバレエを始め、ジャズ、アフリカンダンス、ヨガなどなどいろんなダンスのクラスが いっぱいありました。 チケット制で誰でもとれ、1回だけの受講も可能です。

私はクラシックしかとってませんでしたが、前のクラスがアフリカンダンスでカッコイ~~と思いながら いつも眺めてました。
すごいテンポがあって先生も生徒も盛り上がっててそんじょそこらのダンススクール では味わえない雰囲気が教室中にただよっていました。
私がとっていたクラスはロシア人のコステンコ先生のクラスで、ホームページを見るとまだ教えているようですね。
とてもいい先生でした。

最初、中級クラスをとりましたが、上級の人(フランス人形のような顔とモデルのようなスタイルで、オペラ座のバレリーナじゃないかという同じ人間とは思えない人)が混ざってやっているので、私はついてくのにやっとという 感じでやってました。
レッスンの後先生にクラスを1つ落とした方がいいと言われてしまい、翌週から1つ下のクラスをとることに。

実はクラスを1つ落としたことで、全く違う世界が待っていてくれたのでした。
このクラスになってから、先生は私の個人レッスンのように、とにかく集中的に私をみてくれるようになりました。

レッスンの間じゅう、私ばかりみてくれるので、なんだか他の生徒に悪い感じだったのですが、 みんなは気を悪くするどころか、先生が5分置きに私の名前を呼ぶので、みんなもまねして私の名前を 呼ぶようになり、私の名前が流行り言葉のようになっていました。

生徒は15人くらいで、30代くらいの男の人もまじってました。
いつもクラスをとってる男の人2人が、すごい面白い人で、レッスン中いつも冗談を言って、クラスにドッと 笑いが巻き起こるのですが、フランス語がわからないので一人だけいつも笑えなくてすごい残念でした。

実はこのダンススクールで日本人は私だけでした。
ちなみにクラスは私以外は全員フランス人。
私のフランス語は初級。 しかし、やさしいフランス人がそんな子をほっとくわけがありません。
クラスのいろんな人たちが、声をかけてきて、「もし英語を話せるなら、私もあとあの子も英語話せるから レッスンの後お話しできるよ。」とか、レッスン中もいろんな人が、顔をみては何かしら声をかけてきて、 先生も生徒もみんなで私に声をかけてくるので、はずれるどころか、いつしかクラスの輪の真ん中に。

レッスンは3時間近くありましたが、最後に必ず4人で組んで「四羽の白鳥」を踊ります。 すごく楽しかったので3時間はあっという間で長いと感じたことはありませんでした。
その上、姿勢から何から事細かに毎回直してくれたので、短期間でかなり上達できました。 パリの一番の思い出です。
いつかまた、コステンコ先生のレッスンをとりにパリに行こうと心に決め、パリを後にしたのでした。

そして、その後10年以上ものちに、なんとこのコステンコ先生と日本で偶然の再会を果たします。 そのとき、じつは先生とは、私が小さいとき日本で縁があった人だったことが発覚するのです。

top

Copyright (C) 2010 NANA. All Rights Reserved.